死を感じて 其の一
こんにちわナオトです。
書いてなかった自分の事を簡単に書いておこうかと。
始まりはアメリカ留学から帰国してしばらくの21歳頃でした。
毎日微熱が続き、風邪かと思ってましたが薬を飲んでも病院に行っても熱が下がらない。
不思議なもんで毎日微熱だと慣れてくるんですね。
そんな日が1か月続いたある日、バイト先で倒れました。
風邪ひいたりすると、首のリンパ腺が腫れたりしますよね、あれがその時はすっごい腫れてました。
どのぐらいかと言うと片側の首が顔のフェイスラインと平行になるぐらいと言えば分かりやすいかな。
片側は首がなくなってる感じでした。
そこからはいろんな病院に行きました。
「うーん、うちでは調べた結果分かりませんね。○○病院に紹介状を書きますから行ってみて下さい」
この流れが実に半年続きました。
6か月間も判明しないんです。
その間の症状は自分で思い出しても恐ろしいです。
「地獄」とはこの事かと感じたのを覚えています。
基本的に6か月間毎日40度以上の熱があります。
それに加えて全身の激痛。今までに感じた事の無い激痛が全身にでした。
寝るなんてもちろん出来ませんし、じっとしてる事もできないので転げまわるようにのたうちまわる毎日毎時間毎秒。
一日6錠まで、と決められている強力な鎮痛剤をラムネのようにむさぼり、ほんの数分痛みが和らいだ時に、ご飯を食べます。
もちろん何でも食べられる訳じゃないので、その時口に入れられる気分の物だけを食べます。
不思議なものですが、ある1週間はブロッコリーしか食べられない、ある1週間はヒラメの刺身しか口にできない、という様に限られた物しか口にできませんでした。
食べても飲んでも全てすぐに吐き出すのであまり意味は無いかもしれませんが、食べないと始まらないので少しでも口に入れました。
≪寝る=気を失う≫でした。
不思議とその頃は仰向けに寝ると息ができないんですね。
「苦しい」というか「溺れる」んです。
なので枕を高くして顔を少しでも上げていないと呼吸さえできませんでした。
他に印象深いのは「寝汗」です。
全身が痛いので布団も4枚重ねて寝ていたんですね、なるべく床からの刺激を感じないように。
でも朝起きると布団がペチャンコになっているんです。
全部寝汗でべちょべちょになって。
しかも信じられないかもしれませんが、
8畳ほどの部屋のフローリングの床に「水が溜まってるんです。」
部屋の中に巨大な水槽の水をひっくり返したように、水が溜まってる。
それが全部「寝汗」で、です。
「死ぬんだろうな」
悲観的や悲しみに暮れながら、という訳じゃなく普通にそう思いました。
その間はそれこそ東洋医学・西洋医学・漢方や除霊までありとあらゆる方法を試しました。
今思うとその時の両親の心配と心労は計り知れなかっただろうなと胸を痛めます。
どこに行っても判明しない病気が分かったのは7か月目の「京大病院」でした。
京都の中でも最も大きな病院の一つで、厳密にはそこでもわからなかったので、
「リンパ腺の一部を手術で切除して検査しましょう」
という事になり、早速手術へ。
最も腫れていた首のリンパ腺を局部麻酔で切り開きます。
麻酔が効いているので痛みこそ無いものの、レーザーによる肉の焼ける匂いは今でも覚えています。
首を切り開いたものの腫瘍が大きすぎて何と断念(?!)
ビックリですよね(笑)
先生同士が話してるんですよ、「でか過ぎるな・・・コレ」的な事を(笑)
そんでその日は縫い直して中断!
後日脇の下のリンパ腺を切除する事に決定し、帰宅。
そして当日、予定では日帰り手術だったので切除した後は帰って検査結果待ち、という予定でした。
そして今度は全身麻酔で手術をし、目が覚めた頃には周りの空気が変わっていました。
帰宅予定だったのが即入院という事になりました。
その短時間だけで医師が理解した緊急事態は
「リンパ腺の腫瘍の正体は検査しないと分からないけれど、心臓病と肺水腫(肺に水が溜まる)を併発しています。」
という衝撃の内容でした。
肺に水が溜まっているから仰向けに寝たら溺れて呼吸ができなかったんですね、それによって呼吸が正しくできず心臓に負担がかかり心臓病になった、と。
そしてそのどれもが命の危機にあるレベルだと言われました。
そしてそのまま即入院し、数日後の検査結果で聞いたリンパ腺の腫瘍の正体はリンパ腺の悪性腫瘍、つまりガンでした。
またそれが日本人には「20万人に1人もいない珍しい病気だった」という事が発見をここまで遅らせたのです。
そして医師はテレビドラマでよく見る告知シーンとは全く違い、普通に僕と僕の家族の前でこう告げました。
「ナオトさんの病状はステージ4の末期ガンです。」と。
其の二へ続く