Story Designs Blog

自分自身の学びや経験を少しでも誰かの幸せに

死を感じて 其の二

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こんばんわ、ナオトです。

前回の記事で病名を医師に伝えられた所まで書きましたね。
まだの方は前回の記事を先にご覧いただくと幸いです。

 

 

story-designs.hatenablog.com

 

自分の病状を告知された時は意外とショックとかはなくて

「へぇ~そんな状態なんだ」って感じでした。
というのも体調が悪くなってから判明するまでの約半年間は、苦し過ぎてしんど過ぎてずっとおぼろげな状態なんですね。
これは体調が回復してから気付いた事なんですが、半年間の記憶が大半無くなっていました。
お見舞いに来てくれた友人や、印象的な出来事、はてには病気になる前の記憶に至るまで、穴あきチーズの様に欠如していました。
後日周りから聞かされて少し思い出す場合もあれば、聞いても何も思い出せない事もありました。
医師曰く、
「あまりにも苦痛がひどくて、記憶を消さないと生きていけなかったのでしょう。」という事でした。

確かに当時の事を鮮明に覚えていたとしたら生きていけた自信はないですね。
結局僕の病気は「ホジキン病」という悪性リンパ腫でした。
簡単に言うとリンパ腺に出来るガンで、発見者のホジキンさんという方から由来するようです。
当時で日本人では20万人に1人ほどの珍しいタイプだったので発見が非常に遅れたんですね。
またリンパ腺は全身に張り巡らされているので全身に回るのも早くステージ
の進行が早いのが特徴でした。

そこから僕の治療の日々が始まりました。
最初は一日の大半を費やして検査検査の日々。
そして最も苦しいのがご存じ抗癌剤です。
僕の場合は1日8時間ほど抗癌剤を点滴で投与するのですが、とにかくつらい。
具体的に何がツライのかと言うと、「吐き気・全身痛」が延々と続きます。
病気発覚前の全身痛とはまた違う種類で、抗癌剤が流れる体中の血管という血管が激痛でした。
吐き気も止まらないので、僕の場合はベッドの枕の隣に洗面器を置いて吐きながら全身痛に耐える、という一日が続きました。
子供の頃からずっとスポーツやトレーニングをしていたので、自分で言うのも何ですが筋肉もあり、かなり良い体格をしていましたが、60kgあった体重は36kgにまで減りました。
筋肉も減り、階段は自分の力では3段も上がれません。
歩くのも難しいので移動は基本的に車いすを押してもらっての移動でした。


当時は効果的な薬も分かっておらず、何が効くか分からないので片っ端から試すしかないという状況で、
「この点滴はイマイチ駄目でしたね。 次のに替えてみましょう」
という感じでなかなか効果的な薬が分からない状態が続きました。
病室には他府県からも様々な医師の方々がやって来てメモ帳片手に僕にいろいろ聞いてくるんです(笑)

「え、白い巨塔?」

って感じです。
なかなか凄い光景ですよ、病室の中に白衣を着たオジサン達が大勢入れ替わり立ち代わりやってきて、どこが痛いかとか、今回の薬はどんな感じだったか、等を聞いてくるんですね。
しんどい時もありましたが、それほど僕の病気は未開拓のもので、これが誰かの役に立てば、という思いで話をしていました。
ちなみに今から数年前にこの病気の薬が確定した、というニュースがあったので当時の僕の治療が少しでも誰かの治療に役立ったのかな、と思うと非常に嬉しく思います。

 

話を戻して入院して抗癌剤を投与し始めてからは確かに病名が分かる以前のような苦しみは緩和されました。
ですが薬が効き始めの頃は以前から続く全身痛と抗癌剤による副作用の両方の苦しみがあり、夜中に苦しさのあまり院内を徘徊するという事も少なくありませんでした。
おぼろげな記憶の中で印象的なのは、僕が体が痛すぎて身体を冷やしたいと無意識に思ったのか夜中に病棟の廊下に身体をこすりつけていた事があったんですね(笑)
今思うとなかなかに怪しい光景ですが、それを見つけたナースの方がナース全員を呼んできて僕をナースの方達が待機している場所に連れて行ってくれ、長椅子をいくつもならべベッドを作り、5人がかりでずっと僕の身体を看護してくれた事でした。

実際には冷やすのがいいのか、温めるのがいいのかも誰も分かっていませんし、単純に痛みが一時的に紛らわせられるだけなのですが、全員で氷嚢を作って両手両足と身体全身をくまなく冷やしてくれたり、しばらくすると
「今度は温めてみよう!」とホッカイロをありったけ近くに買いにいって全身に押し当てて温めてくれたり、お湯や水に浸したタオルを代わる代わる身体にあててくれていたり。

全員がです、しかもずっと。 朝までずっとです。

この時の事は今でも覚えています。 不思議な事ですが簡単に言うと
「物凄い幸せ」でした。
言葉では言い表せないのですが、たくさんの人が何とかしようとしてくれるあの安心感と、包み込まれるような愛情。
病気になってから初めて心がほぐれるような感覚を味わいました。

そんな方々のお蔭で、僕の病気は少しずつ回復に向かいました。
末期ガンではありましたが、峠は越えたとの事で退院のメドもたち、検査であけくれた僕の入院生活は意外にも1か月と少しで終わりました。
これからは通院による抗癌剤治療が続きますが取りあえずは命は取り留めたという安心感もありました。

ですが本当の地獄はここからでした。
今までが天国だったんだって思うぐらいに。

 

其の三へ続く