死を感じて 其の四
こんばんわ、ナオトです。
今回でこの備忘録とも日記とも言えない文章は一応最後となります。
では前回の続きからを少し最後に書いておこうと思います。
彼女が亡くなってしまった後も僕の治療はもちろんずっと続きます。
基本的には抗癌剤の点滴を通院で投与していました。
これがまたツライし体中の激痛に耐えられないんです。
嘔吐もすごいので枕の隣にはずっと洗面器が欠かせないし、
ガンになって一番辛いのはやはりこの抗癌剤でしたね。
投与量も多いので8時間から時には10時間ぐらいかかった事もあります。
知ってましたか?
体中の血管が死んでいくんですよ(笑)
その時に初めて聞いたんですけど、劇薬を流し続けた血管はどんどんドス黒くなっていって最終的には硬いゴムチューブの様になって死んでいくんです。
普通に手でつかんでゴリゴリできるぐらいに掴めるんです!
さらに驚きなのが先生曰く、一本血管が死んだら、
また一本新たに血管が生まれるんだそうです。
人体って不思議だなーって思いますよね。
・・・・話それましたね。
その抗癌剤投与を打った日から3日連続で抗癌剤の副作用を抑える筋肉注射を打ちに通わなければなりません。
これが確かすっごい小さい注射なのに一本あたり7000円ほどだったのでビックリした記憶があります。
それを打つと2日動けるようになって、また点滴、というような繰り返しの日々でした。
ですが彼女が亡くなった直後から不思議な事が起こりました。
この点滴の永遠かと思うような激痛が全く無くなったんです。
痛みが和らぐ、とかではなく「全く」痛みがなくなったので先生も非常にビックリしていたのを覚えています。
ある婦長さんは「彼女が助けてくれたんやね」と僕の手を握って泣いてくれました。
それ以降は本を読んだり、音楽を聴いたりしながらベッドの傍に置いた
彼女の写真立てを眺めたりしながら点滴時間を苦も無く過ごせるようになったんです。
この時ぐらいに「あ、自分は死ぬ事は無いんだな」って確信しました。
彼女が守ってくれてるっていう実感があったし、
「死を感じて」と題したけど、思い出しながら書いていると
「死を感じる」という事は「生を感じる」事なんだなと改めて思いました。
よく生と死は表裏一体、というような事を言いますがまさにそうで。
この数年間の出来事は間違いなくその後の僕の礎になっていると思います。
「その後」と言っても、これを書いている現在もその後な訳で悲しみや
感情は薄まってはいくものの消えない想いもあるわけで。
特に「後悔」ってのは消えたと言ったら嘘になってしまいますね。
でもあらゆる事に対する考え方は変わったと思います。
その日以来「後悔」は一度もしたことがないし、
不幸せを嘆くなんて事は1mmもなくなりました。
あと月並みだけれど最も大事な事は
「今日が最後だと思って生きよう」って事です。
大事な人には必ず想いは全て伝えるようになりましたし、
明日突然この世からいなくなってしまうかもしれない、と思いながら
接するようになりました。
もちろんそれ以降、恋人と喧嘩をするって事も10年以上一度もありません。
これって口で言うより本当に難しい事だと思います。
みんなに同じように思ってもらって、愛する人と喧嘩もする事なく幸せに生きて欲しいと願っているけど、なかなかそうはいかないみたいで。
実体験しないと分からない、と言われればそれまでだけど
「できれば傷を伴わずに幸せに生きてもらいたい」
って想いでこんな記事を書いたりしているっていう側面もあります。
こういう体験を書いたり話したりするのって、「えー不幸自慢?」とか
「お涙ちょうだい話って感じでサブイ」とか思われがちなんですよね、正直。
でも100人に1人でも僕の話で何か買われるキッカケになったり、
気付かなかった幸せに目を向ける事が出来たのなら価値があるわけで。
99人にサブイと思われても話をした意味があるなって思うんです。
んーやっぱり何年経っても上手く言葉では纏められないですね。
伝えたい想いとか経験した感情などが溢れてきて収集がつかなくなってきちゃう。
彼女の死後に起こった霊的な事とかちょっと神秘的な事とかたくさんあるんですけど、それはまたいつか機会があれば書いてみるかもしれません。
僕は子供の頃からそういった類の経験が豊富なのですが、好きじゃない人とか信じられない人もたくさんいるかもしれないですしね(笑)
総括、するのは難しいけれど
「人は誰からの記憶にも残らなくなった時もう一度死ぬ」のだと思います。
誰かが死ぬ、っていう事はとても悲しみを産む事だけれど、
その人の死はその周りの人達に「生きているという事」を感じさせてくれるし、
その人達の命の火を一層強く大きく燃え上がらせてくれるものだと思います。
1人の死がたくさんの人の生を、そしてその人達が死ぬ時にまたたくさんの人に生を、
というように、人の死を紡ぐという事はどんどん幸せを増やして産んでいく、
という矛盾を孕んだ命を螺旋を描いていくのだと思います。
悲しみに泣きくれる事もあるけれど、愉快な時だけ思い出して涙に溺れる事も大事で。
亡くなった人を、その命の灯を受け継いでより強くしていく事が残された者の
使命であり、すべきことなんじゃないかと。
ずっと忘れず受け継いでいければもうあの人は生きているのも同じかなって
思ったりするんです。
大事な人を二度亡くさないよう、今日一日を笑顔で感謝して、
幸せを実感して生きて行こうと。
だからこれを偶然にも目にした方達にお願いです。
貴方の大事な人が明日死んでしまったら
という事を真剣に鮮明に想像してみて下さい。
言い忘れた事はないですか?
伝えたい想いは本当にないですか?
その時感じた想いをどうかどうか伝えてあげて下さい。
それが僕の願いです。
読みにくい部分もたくさんあったのにここまで読んで下さった珍しい方?
また後日談など書くかもしれませんが、今回でこの備忘録は終わりにしたいと思います。 ありがとうございました。