Story Designs Blog

自分自身の学びや経験を少しでも誰かの幸せに

死を感じて 其の三

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明けましておめでとうございます、ナオトです。

前回から少し期間が空いてしまいましたが前回からの続きを書いておこうと思います。

まだ未読の方は最初からお読み頂ければ。

 

 

story-designs.hatenablog.com

 

 

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前回は僕の病気が判明し、少し未来がクリアーになったという所まで書きましたね。

 

話を少し過去に戻します。

 

 

僕には当時同じバイト先にお付き合いをしている女性がいました。

彼女は当時18歳、僕は21歳だったので年下の可愛い女性でした。

そんな中 前回に書いたように僕の体調が徐々に悪くなっていったのです。

 

彼女に心配はこれ以上かけたくなかったし、いつ死ぬかどうかも分からない彼氏を

看病させ心をすり減らせる事は僕には出来なかったし、

正直そんな余裕も僕には無かったんですね。

 

そこで僕は別れを切り出しました。

 

発病してからの約半年でほとんどの記憶を失っていましたが、

この当時の事は今でも覚えています。

彼女との最後のデートの記憶は僕の12月の誕生日、

誕生日プレゼントをもらって一緒に撮ったプリクラ。

そんな日からしばらくしてからだったと思います。

 

何かありがちなラブソングの歌詞みたいですね(笑)

 

でもこの時のプリクラを見ると自分のゲッソリ具合にゾッとします。

彼女はすごく真っ直ぐで、当時から思った事は全力でやるという女性でした。

愛すると決めたら全力で愛す、一秒だって無駄にしたくない、そんな人で、

周りからも「なんでいつもそんなに生き急ぐの?」

そう言われるような性格でした。

 

なのでただ「別れたい」と伝えても頑として聞く耳を持たないという事は明白でした。

「いつまでかかるか分からない僕を待たせていたくない」

と伝えても絶対に言う事は聞かないと思ったので、

 

「正直、もう好きではなくなったんだ」 と嘘を言いました。

 

「君のそのがむしゃらで全力の若さや子供っぽさについていけない」とも。

 

予想通り泣いて嫌がりましたが、想像してたより早くその場は受け入れてくれました。

そこから時期から僕は本格的に治療と闘病に入った時期なので、

検査や治療に全ての時間を病院で過ごしていました。

何度か当時のガラケーだった携帯に近況を報告するメールが

彼女から来ていたぐらいで不思議に思うほど落ち着いていた様子でした。

 

 

なので彼女の別れた後の行動を知ったのはもっと後から、最悪のタイミングででした。

 

 

 

 

それは年も明けて数か月だった春、4月。

前回の記事の終わりの頃に話は戻ります。

僕は徐々に快方に向かい、命の危機の峠は越えたと僕も周りも一安心した頃です。

ちょうど彼女の誕生日が4月中旬だったので、

その日に体調を整えすべての本心を伝えに行こうと思いました。

 

「本当は嫌いになんかなってないよ、ずっと一緒にいたいんだ」と。

 

久しぶりの外出に清々しさを感じながら、簡単な誕生日プレゼントを買いました。

「Happy Birsthday」が流れる小さなアンティーク調のオルゴールでした。

 

彼女が暮らしていた実家に行ってインターホンを鳴らしましたが、

驚かそうと突然行ったので誰も居ませんでした。

 

今思うとバイトとかしてたら当たり前ですよね(笑)

 

そこでポストに簡単な手紙と一緒にプレゼントを入れてその場は帰りました。

その帰り道、車中で彼女の家から着信があり出てみるとそれは彼女のお母さんからで、

その時はどんな受け答えをしたのか、その後どうやって帰ったのか覚えていません。

 

 

「プレゼントありがとう、あの子昨日事故にあって今集中治療室にいるの」

 

 

 

 

19歳の誕生日の前日に、です。

 

僕が本心を伝えようとしていた前日に、です。

 

 

 

 

 

友人の車の助手席に座っていた彼女はスピード違反をして突っ込んできたトラックに激突されたんです。

しかも彼女が座る助手席の方へ。

 

そして悲しい悲しい現実を伝えられました。

 

トラックの運転手と同乗していた友人は軽い怪我で済んだそうですが、

彼女は意識不明の重体。

 

恐らく意識はもう戻る事は無いだろうって事を。

 

万が一、意識が戻ったとしても首から下は全く動かないという事を。

 

 

 

 

 

 

 

 

初めて入った真っ白い集中治療室で久しぶりに彼女を見ました。

そんな大事故にあったとは思えない程キレイで。

普通に寝てるみたいでした。

布団に隠れてる身体はもうボロボロだったそうですが、

きっと最後にキレイな顔を僕に見てもらいたかったんだと思う、

ってお母さんが言ってくれました。

 

もう、泣く事もできないほど受け入れられなくて。

気を利かしてくれて一瞬だけ二人にしてもらえた時に、声をかけました。

 

 

「俺だよ、何があったん? なんで・・・」

 

そうつぶやくと意識の無い彼女の目から涙がこぼれたんです。

 

すーーーっと目から涙が耳に伝っていくのを見た時、合わせ鏡の様に僕も泣きました。

 

 

医師が言うには目にたまった涙がこぼれる場合もあるんです、と教えてくれましたが、

「もしかしたらあなたの声が聞こえたのかもしれませんね。」

とも言ってくれました。

 

 

その夜ご両親に彼女の近況の話を聞きました。

彼女は僕と別れたあとすぐに

「子供っぽいと言われたから大人になって待っていよう!」と言いだし、

大人と言えば自立している、という事から実家を出て、住み込みで仕事を見つけ

寂しがり屋だったくせに一人暮らしをしていた、との事でした。

 

生活がちゃんと落ち着いてお金もしっかり稼げるようになったら

僕を驚かせようと内緒にしていた事も初めて知りました。


そして絶対にまた振り向いてもらうんだ、とがむしゃらに頑張っていたんです。

 

 

 

もう悲しく悲しくて、てつらくてつらくてつらくて。

 

 

 

本当に辛いのは彼女だし、ご両親に比べたら僕の悲しみなんて大した事じゃない。

 

けど後一日、早く会いに行っていれば未来は変わっていたかもしれない。

本当の気持ちをもっと早く伝えていれば事故に遭わなかったかもしれない。

そんな後悔の念は正直今でも完全には消えていません。

 

 

 

 

 

その日から約2か月後、彼女は消えるように死んでしまいました。

 

僕に「嫌われている」と思ったまま、死んでしまいました。

 

 

 

その訃報が届いたのは朝6時前。

不思議と目が覚め、直感で「あ、死んだんだな」と分かりました。

 

ベッドから出て、床に携帯を置いて前に座ってすぐ電話がなりました。

すぐに電話に出た僕に彼女のお母さんは少し驚いていましたが、

ふっと息をついて「ナオト君のとこにはもう行ったんやね」と合点が行ったようでした。

 

 

「本当は愛している」

「嫌いになったのは嘘だったんだよ」

 

僕がついた嘘と伝えられなかった本当の想いを伝えられなかった。

この後悔がこの後もずっと僕に重くのしかかりました。

 

 

其の四へ続く